犬のお散歩

犬と散歩しながら人間についてテキトーに考察してみた

黒柴とチョコダップルのミニチュアダックスフンド

 

黒柴
ダックスフンド
眠る柴犬
柴犬とダックスフンド

犬の幸せってなんだろうか。

仕事をやめてほとんどウチにいるので、わが家の愛犬2匹といる時間がかなり多くなった。

犬は基本寝ている。

午前中は寝てるか、まったりと外を眺めている。

まったく気楽なもんだが、それを見てるこちらは尖った気持ちが癒される。

ありがたい存在なのだ。

上の子がわが家にきて5年になる。きたときは生後2か月だった。

下の子も同じくらいの月齢できて、今は3歳と8か月か。

人間の年齢になおすと2匹ともケッコウな歳になるはずだが、犬ってのはいつまでたってもかわいい子供なのだ。

犬を飼ってる人間なら誰でも一度は思うことだろうけど、この子たちと話ができたらいいのに。

動物と話ができる女性の本がわが家にはあるが、結局ぼくにはそんなことはできなかった。

しかし、何年もいっしょに暮しているのだから、その時々で2匹がどんな感情でいるのかは、なんとなくわかる。

 よろこんでるのか、怒ってるのか。かまってほしいときは足や顔をぺろぺろと舐めてくるし、シャンプーされると知ったときは絶望でシッポがだらんとたれ下がる。

気持ちがわかると、よけいかわいい。

 

1匹めの黒柴はネットで探して出会った。

月島のマンションの一室までその子を引き取りに行き、キャリーケースに入れて電車で帰った。

不安にならないように時々指を差し入れて舐めさせてやった。

乗客がケースの中の子犬に気づくと、かわいい!と声をあげたりした。

ぼくはなんだか自慢したいような気持ちになる。もっと見てごらんよ、と扉をあけたくなるがそこはグッとこらえて聞こえなかったフリをした。

でも、口元はゆるんでいたかもしれない。

なんせ生まれてはじめて犬を飼うのだから。

 

何年かして嫁がもう1匹飼おうと言い出した。

2匹で遊んでいるところを想像したらどうしても欲しくなってしまったらしい。

ぼくもすぐに賛成した。

ところでその前から次に飼うとしたら保護犬にしようという話はしていた。

実際に犬と暮らすようになる前は考えもしなかったが、世の中にはかわいそうな犬や猫がたくさんいるのだ。

人間の都合で殺される犬や猫が一年間で何万匹もいるという。

引っ越し先で飼えない、とか家人が病気になったから、とかナントカそんな理由で保健所に持っていくらしい。

人間の子供だったらどんな状況になっても、なんとかしようと思うはずだがペットだとそうではないんだね。

世の中にはそんな人もいるってこと。

 

殺処分というのは前から知ってはいたが、パピーミルという言葉は知らなかった。

直訳すれば「子犬工場」。

この工場には繁殖のためだけに生きることを許された犬たちがいて、ひたすら子犬を生み続ける。

生めなくなったらお役御免で捨てられるだけだ。

涙が出てくる。

埼玉の蓮田にはペットの競り市場があるらしい。

箱に入った子犬たちがベルトコンベアで流れてきて業者に買われていくんだとか。本当なのか知らないが、そこでは命は単に商品としか扱われない。

競りにかけられた子犬たちはペットショップに並ぶことになる。

ショーケースの中の子犬に魅せられたニンゲンがお金を出して命を譲りうけるワケだが、中にはその覚悟をもってないニンゲンもいるのだ。

ペットショップではフードとか首輪、リードなんかの小物を売るだけにして生体は扱うべきではないのかもしれない。

 売る方は免許は必要だろうが、買う方も免許制にすべきじゃないのか。

 

そう思ったので次は保護犬、と考えていたのだが結局ペットショップで買ってしまった。

ぼくは自分が恥ずかしい。

たまたま上の子の何かを捜しているときに立ち寄ったペットショップで今わが家にいるミニチュア・ダックスフンドの子犬と出会ってしまった。

ミニチュアダックスフンド
黒柴とダックス
ダックスフンド

夢のような感じでその子をクルマに乗せて家に向っていた。助手席の嫁も少し赤ら顔になって「速攻だったねえ」と言いながら満足そうではあった。

でも、ぼくは時間が立つにつれ、殺処分されるワンちゃんたちに申しわけない気持ちになっていた。 

そんな気分を埋めるかのように2匹に愛情をかけている。

いや、それは違うか。

ぼくと嫁が2匹をかわいいと思う気持ちになんの理由もありはしない。ただ、ひたすらかわいいだけだ。

 

犬が幸せを感じるのはどんな時だろうか?

彼らは言葉をしゃべれないのだから本当のところは想像するしかないが、識者が言うには飼い主といる時間、ドッグランなどで運動しているとき、ごはんの時間等がそうだと言う。

のんびり寝ているときも実に満ち足りた表情をしております。

散歩行こうか!と声をかけると、上の黒柴はおもむろに立上り身体をギューッと伸ばしストレッチをはじめる。

下のダックスはぴょんと跳ね上がりちぎれんばかりにシッポをふりながら、そこら中をかけまわる。

散歩がたのしいんだね。

ぼくらも君たちのおかげで歩くのが好きになったよ。

うちは埼玉のいなかにあるので緑が多く、とくに早朝の散歩は気持ちがいい。頭の中味や身体のすみずみがリセットされるのを実感する。

犬がしあわせを感じるときはニンゲンだってしあわせなのだ。

 

犬や猫をすてるニンゲンがゆるせない。

ゲンコツや角材でなぐったり足でけったりする奴らがゆるせない。

一生大事にするっていう覚悟がないなら犬や猫を飼うのはやめよう。

殺処分がない世の中にしていこう。

そのために一人のニンゲンに何ができるのか。

 

ぼくにできるのは今、目の前で寝ている2匹と最後までつきあっていくことだけかもしれない。