【18禁】U-NEXTはアダルトも豊富にある 日活ロマンポルノの名作も!
HNEXTはコッソリ楽しめる!
驚いたことにU-NEXTではアダルトもたくさん配信されています。
お色気ドラマ、といった生やさしい類いのものではありません。
レンタルショップのカーテンで区切られている、人目を気にしながらコソコソ入らなければならない、例のコーナーに並べられているアレです。
便利な世の中になりましたね。
ぼくらの頃は、カウンターが女性だとビデオを持っていくのをためらったり、普通の映画と映画の間に挟んで持っていったりしたもんですよ。
それが今では指一本、enterキィーを押せば好きなだけ見れるんだから。
しかも、アダルトものは履歴が残らないのも、うれしい配慮です。通常だとトップ画面に視聴履歴が画像といっしょに表示されるんですが、アダルトはそれがありません。
家族に知られずコッソリ見るには都合よくできています。
左サイドバーの一覧から「その他♡」をクリックすると「HNEXTへ進む」という文字が出るので、そこから禁断の世界に・・・・
ワイセツなぜ悪い?
ハブェロック・エリスが、「子供に童話が必要なように、大人には猥本が必要だ」と言ってます。
ぼくらが小学生ぐらいのときにワイセツ裁判というものが世間の耳目を集めていた。よく覚えているのは映画『愛のコリーダ』が問題になって結局ズタズタにカット、編集されたプリントが上映されて監督の大島渚が激しく抗議したもんだ。
たしか映画はそーいう不完全な形で公開されてお茶を濁した格好で終わったが、本も出版されて、そちらは発禁になり、裁判になったと思う。
被告は出版社の社長だったか大島渚なのか知らないが、たぶん無罪になったはず。
被告の支援者を名乗り出る文化人もたくさんいて、彼らの主張は要するにワイセツなぜ悪い?というもの。
ワイセツなものだって表現の一種だし、国家権力が取り締まるのはケシカランだろう、と。
エッチなことに目覚めた、ぼくら中学生は、そうだ、そうだ、と応援したが、今思うと、これは表現者と国家権力の闘争、なんてものではなかった。
被告は単に企業の論理で動いていただけだと感じる。
芸術なぜ悪い?
京都の小さな出版社が出した画集が警察に摘発された事件があった。
ドイツの挿し絵画家バイロスのペン画を集めた「バイロス画集」が購入者によって神奈川県警に告発されたのがキッカケ。
編集したのは当時、京都大学の教授をしていた生田耕作で、結局、不起訴になった。
生田耕作はバタイユやマンディアルグなどの翻訳で有名な仏文学者で、彼の主張は一貫して、画集は芸術であってワイセツではない、というもの。
これがワイセツ裁判を闘ってきた文化人らから攻撃されてしまった。
「愛のコリーダ」裁判でせっかく無罪を勝ち取って、ワイセツは否定されるものではない、という主張に一歩近づいたのに、芸術だから悪くない、という主張は、ワイセツ裁判を後退させるものだ、というのがその理屈だ。
生田耕作は摘発した官権も、ワイセツ派の文化人たちも一刀両断に切り捨てた。
この画集がなぜ芸術といえるのか?という警察には胸のすくような言葉を発してる。
ここで生田氏の文章を『卑怯者の天国』(人文書院)から引用してみよう。
「バイロス画集」にかんするかぎり、これをワイセツと見なす自由は官憲にない。なぜならバイロスの作品は〈美〉であって、〈ワイセツ〉ではないからである、どうして〈美〉であって〈ワイセツ〉でないと言い切れるか、それは〈美〉に敏感で、〈ワイセツ〉を嫌うわたくしがそう判定するからである。こと芸術にかかわる問題に、〈美〉に鈍感で〈ワイセツ〉に敏感な官憲ごときが口出しすることをわたくしはだんじて許せないし、黙って引き退るわけにはいかないのである。
見事だ。
生田耕作は終始一貫してこの主張を取り下げることなく、起訴猶予のもちこんだ。警察、検察の卑怯者ぶりも本の中で露わにされていてコッケイそのものである。
返す刀で大島渚や三一書房の社長もバッサリと切り捨てている。
自分の作品を芸術であると言うのなら大島渚はなぜ自らの手で、ボカシを入れ、不完全な形で公開したのか。
また、ワイセツなぜ悪い、と思うならノーカットで堂々と上映したらいいじゃないか!
それができないのは、すぐに押収されては製作費も回収できないという企業の論理が働いたからだろう。
日活ロマンポルノ裁判などで華々しい支援活動をやっていた映画評論家、大島監督、出版社社長のラディカル三人組をニセモノだと断じて、もっと闘えと批判しています。
ぼくは『愛のコリーダ』を観て、つまらないので、途中でやめてしまいました。
こりゃあ趣味の悪いワイ本と同じだな、というのが感想です。
最後まで見たら違ったのかもしれませんが。
日活ロマンポルノは芸術か?
日活はもともと東映、東宝、松竹と同じ戦前から続く名門の映画会社です。
裕次郎、旭、赤木圭一郎などのアクション映画、吉永小百合、浜田光夫などの青春映画や文芸ものも有名でした。
個人的には石原裕次郎主演のサラリーマンものが好きでした。原作はたいてい源氏鶏太で、くったくのないストーリーが裕次郎の個性とよく合っていました。
不動産投資の失敗や、映画産業の斜陽化にともなって日活は、1970年代はじめから成人映画を専門とする路線に変更しました。
女の裸を出して客を呼べ!という完全に企業の論理によるものです。
でも、ぼくはそれでいいと思う。
映画はもともと芸術でも文化でもなくて、興行、客寄せなのだから、お客さんが来なければ成り立たないのだ。
日活が企業として裸を売りに観客を呼び戻そうとしたのは、安易だとは思うが、そういう選択もあったと理解はできる。
それにロマンポルノはたしかに一定の層からは支持されたのだ。
従来の俳優や監督たちはその多くが日活を離れたが、代わりに若い監督が作品を撮るチャンスをつかんだ。
この中から新しい才能が何人も排出されたのも事実なのだ。たとえば、『家族ゲーム』の森田芳光、『遠雷』の根岸吉太郎など。
神代辰巳もロマンポルノのエース監督だが、『青春の磋跌』という名作を萩原健一主演で撮っている。ただ、神代監督自身はその称号には心を痛めていた、というが。
ぼくは思うのだが、映画は純粋に娯楽であってほしい。
なによりも観る者を楽しませることに徹してほしいのだ、ヒッチコックのように。それが同時に芸術であってもかまわないが、芸術ってなんなんだ?
ロマンポルノにもおもしろい作品は、たぶんいっぱいあゆのだろう。ぼくに限っていえば、映画で女の裸が出てくるのは、あまり好きじゃないので日活ロマンポルノはほとんど見ていない。
でも、せっかくU-NEXTにあるのだから『黒薔薇昇天』とか有名な作品は観て名東思う。
意外にハマったりして。
個人的には裸が見たければアダルトの方がいいも思う。
家族にはナイショでね。
うししし。